母の宝石 - わたしがトスカを名乗るわけ

わたしがトスカに出会ったのは1990年の晩秋のオックスフォード。冬木立が天を突き、寒さの到来を予感させるころだった。目抜き通りハイ・ストリートにある書店ディロンの大きなショーウインドーの片隅で、「あたし、イギリスの猫よ!」と言いたげな、だがシャイな表情で上目づかいにこちらを見ていた。心惹かれるものがあって、この絵本を買い、B&Bの宿に戻ると、旧知の編集者に絵葉書を送った。「曾遊の地に来ています。ステキな絵本を見つけましたので帰国したらご覧にいれたい・・・」と。

 この旧知の編集者には、それまでもステキな絵本を‘‘ご覧にいれ’ていたのだが、どうやらマニアックな印象を免れなかったようで翻訳出版に至らなかった。トスカは真っ当な子ども向け絵本であったから採用かない、わたしの初の翻訳絵本となって翌年の秋には日本橋丸善に堂々の御目見えを果たした。

 この旅は母の思い出につながる。その夏、母は、いまの言葉でいう終活をしていたのだろう、わたしたち四人姉妹に、「指輪でもお買い・・・」と、ささやかな金子を贈ってくれた。当時、厄介なノンフィクションのテーマを抱え、立ち往生していたこともあって、ちょっと息抜きに、わたしはイギリス旅行を思い立ったのである。帰路はミラノでウインドーショッピングをし、ヴェネチアまで足を延ばしてグラスを買おう・・・と指輪はいつしか旅費に変じ、旅の夢は膨らんでいった。思えばこの旅は湾岸戦争が火を噴く直前の、きわどい、貴重ないっときだったのだ。

 母はその後、病を得て入退院を繰り返したのだが、病床の枕辺に『トスカのクリスマス』が置かれていて、見舞客に娘の本だと語っていたらしい。指輪はやめてこの本にしたことを、どうして一言、母に伝えなかったのだろう。悔まれてならない。(完)